黒部峡谷・立山・上高地を巡る旅 上高地篇 

2015/
10/02

昨日の夕刻から強まった風雨も、朝起きた時は多少風が強いものの小雨に変わり、バス移動中にはすっかり回復した。

奈川渡ダム(ながわどダム)は、長野県松本市、信濃川水系犀川(さいがわ)の上流部・梓川に建設されたダム。高さ155mのアーチ式コンクリートダムで、下流の水殿(みどの)ダム・稲核(いねこき)ダムとともに完成。これらは総称して安曇3ダム、もしくは梓川3ダムと呼ばれているという。
 

奈川渡ダム

白馬東急ホテル

梓湖(奈川渡ダム湖)

 
上高地。 来る途中の道の狭さ(現在道路拡張工事が進められている)にはビックリしたが、着いてみて改めてここがなぜ人気が高いのかを理解した。あれだけ雨が降ったというのに、それでも美しい川と湖の色。山々が織り成す色彩との微妙なコントラストがすばらしい。

大正池でバスから下車し河童橋へと向かうコースを選んだ。ただ歩くだけなら所要時間70分ほどだが、途中、写真を撮ったり、昼食をとったりと、たっぷり2時間かけて散策した。

大正池は1915(大正4)年6月6日の午前に焼岳が大噴火をおこし、その際に噴出した多量の泥流により梓川がせき止められてできた池。大正年間にできたことから今の名称が定着した。
 

白樺林に囲まれた大正池と焼岳

焼岳(大正池)

穂高連峰は雲に覆われている(大正池)

焼岳北峰(2444m)(大正池)

田代池へと続く遊歩道 途中、霞沢岳などが見える

 
田代池に着くと、そこは原生林に広がる小さな湿原のようにも見えた。水深は極めて浅く、幾つかの島々があり、まるで水田のようにもみえる。このことから「田代=水田」と名付けられたのだろう。豊富な伏流水のせいか透明性は群を抜いている。
田代池から遊歩道に戻り少し行くと自然研究路がある。なぜ自然研究路いうのか意味不明だが、「林間コース」と「梓川コース」があるが今回は「梓川コース」を進むことにした。木々の間からは、時折、焼岳・霞沢岳が見える。
 

このとき、明神岳・穂高連峰は雲に覆われていた(田代池付近)

田代池 霞沢岳(2646m)がくっきりと見えた

自然研究路分岐点 梓川コースへと向かう

遊歩道 梓川コース

霞沢岳

田代橋

穂高橋

 
田代橋・穂高橋は散策路のほぼ中央。これらの橋を通って、ウェストン碑がある場所へと向かう。
穂高橋を渡り、梓川沿いを歩いていると、右手に六百山(2450m)・三本槍・霞沢岳((2646m)が見える。
梓川上流には、明神岳(2931m)がやっと顔を現して来た。

10分ほど歩くと「ウェストン碑」が左手に見えてくる。鬱蒼とした木の下に設置されているため、見逃してしまいそうだ。
英国人宣教師ウォルター・ウェストンは、上高地の魅力を1896(明治29)年、著書『日本アルプスの登山と探検』で世界に紹介している。「楽しみとしての登山」を日本に浸透させた功労者として、日本山岳会は氏の栄誉を称えて1937(昭和12)年に梓川沿いの広場にレリーフを設置した。
 

石川橋と石川門

ウェストン碑

明神岳(2931m)

六百山  梓川  霞沢岳

河童橋へと向かう遊歩道

 
台風崩れの異常に発達した低気圧の影響で昨日から今朝にかけ大荒れとなった山々。このことは天候に恵まれた上高地の山々にも影響し、結局、最後まで穂高連峰を見ることが出来なかった。それでも、焼岳・明神岳・六百山・霞沢岳などを見ることが出来、上出来の上高地旅行だったと思う。

「河童橋」では、多くの観光客が見物していた。
「河童橋」は1891年(明治24年)に初めて架けられた。全長37m、幅3.1m、長さ36.6mのカラマツ製の橋。中部山岳国立公園内の標高約1,500mに位置する。橋は過去に4回架け替えられており、現在5代目である。
名前の由来には諸説あり、
昔ここに、河童が住みそうな深い淵があったため。
まだ橋のなかった時代、衣類を頭に乗せて川を渡った人々が河童に似ていたから。
などがある。
1927年、芥川龍之介が
描いた小説『河童』の舞台は、上高地から槍ヶ岳、穂高岳に至る梓川周辺。ここで河童橋を登場させたこと、および芥川が同年に自殺したことなどでより有名になった。
 

河童橋と焼岳
河童橋と明神岳 左手は雲に覆われた穂高連峰

河童橋

焼岳

河童橋と穂高連峰(雲に覆われている)

明神岳