一度は来たかった軍艦島。天気予報では台風20号が迫っていると言うことで、雨降らないまでも波風が強くなるのではと心配していた。というのもドルフィン桟橋は写真から分かるように小さな桟橋で波の影響を受けやすいため欠航もあるとのことだったので、ダメかと半分諦めていたが、運よく台風がそれてくれ波もほとんどないベタナギで無事上陸することが出来た。
軍艦島は正式名称を端島と言い、1810年頃石炭が発見された。1890年三菱の経営となり本格的海底炭鉱として操業が開始された。最盛期にはこの島に5000人以上が住んでいて、学校・病院・映画館などがあり1つの町を形成していたようだ。1974年に閉山となり現在は無人島になっている。岸壁が島全体を覆い高層鉄筋アパートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになったとのこと。
軍艦島へ向かう軍艦島コンシュルジュの桟橋からは稲佐山が見え、すぐ後ろには大浦天主堂がある。過去2度大浦天主堂に来ているがここから軍艦島に向かうとは思いもしなかった。目的が違うと見るものも違ってくるようだ。
桟橋を出てまもなく右手に三菱重工長崎造船所の巨大クレーンが見えてくる。150トンハンマーヘッドクレーンで1909年建造され現役とのこと(登録有形文化財)。続いて見えたのがBERTH No2(第2船台)。戦艦武蔵はここで作られたらしい
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しばらくいくと、神ノ島教会が見えてきた。海辺に立つ聖母マリア像(写真左手の白い物体)は高さ4m60cmあるそうだ。
高島を過ぎると中ノ島と並んで軍艦島が見えてきた。遠く三ッ瀬と呼ばれる島が見えるがここも採掘址で、軍艦島とは海底の坑道(三ッ瀬坑道)でつながっていると聞き大変驚いた。
軍艦島は見学する場所が決められている。およそ200mのコースに立ち止まって見学する見学広場が3ヶ所ある。それ以外はすべて立ち入り禁止でこのことを含む誓約書を乗船前に書かせられる。第2広場付近に排水溝と思われるものがあったが、子供達が海水浴に出かける時の出入り口になっていたらしい。第3広場から見える30号棟31号棟アパートは日本最古の7階建て鉄筋コンクリート高層アパートとのこと。岸壁には「天川の護岸」呼ばれる址がある。石炭と赤土を混ぜた天川と呼ばれる接着剤を用いた石積み工法による護岸作りからこう呼ばれている。
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