ワイドに巡る旅 軍艦島・山鹿温泉篇 2014/11/05

一度は来たかった軍艦島。天気予報では台風20号が迫っていると言うことで、雨降らないまでも波風が強くなるのではと心配していた。というのもドルフィン桟橋は写真から分かるように小さな桟橋で波の影響を受けやすいため欠航もあるとのことだったので、ダメかと半分諦めていたが、運よく台風がそれてくれ波もほとんどないベタナギで無事上陸することが出来た。

軍艦島は正式名称を端島と言い、1810年頃石炭が発見された。1890年三菱の経営となり本格的海底炭鉱として操業が開始された。最盛期にはこの島に5000人以上が住んでいて、学校・病院・映画館などがあり1つの町を形成していたようだ。1974年に閉山となり現在は無人島になっている。岸壁が島全体を覆い高層鉄筋アパートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになったとのこと。

軍艦島へ向かう軍艦島コンシュルジュの桟橋からは稲佐山が見え、すぐ後ろには大浦天主堂がある。過去2度大浦天主堂に来ているがここから軍艦島に向かうとは思いもしなかった。目的が違うと見るものも違ってくるようだ。

桟橋を出てまもなく右手に三菱重工長崎造船所の巨大クレーンが見えてくる。150トンハンマーヘッドクレーンで1909年建造され現役とのこと(登録有形文化財)。続いて見えたのがBERTH No2(第2船台)。戦艦武蔵はここで作られたらしい
しばらくいくと、
神ノ島教会が見えてきた。海辺に立つ聖母マリア像(写真左手の白い物体)は高さ4m60cmあるそうだ。

高島を過ぎると中ノ島と並んで軍艦島が見えてきた。遠く三ッ瀬と呼ばれる島が見えるがここも採掘址で、軍艦島とは海底の
坑道(三ッ瀬坑道)でつながっていると聞き大変驚いた。

軍艦島は見学する場所が決められている。およそ200mのコースに立ち止まって見学する見学広場が3ヶ所ある。それ以外はすべて立ち入り禁止でこのことを含む誓約書を乗船前に書かせられる。第2広場付近に排水溝と思われるものがあったが、子供達が海水浴に出かける時の出入り口になっていたらしい。第3広場から見える30号棟31号棟アパートは日本最古の7階建て鉄筋コンクリート高層アパートとのこと。岸壁には「天川の護岸」呼ばれる址がある。石炭と赤土を混ぜた天川と呼ばれる接着剤を用いた石積み工法による護岸作りからこう呼ばれている。
  

軍艦島

軍艦島コンシュルジュの桟橋 150トンハンマーヘッドクレーン

BERTH No2(第2船台)

ながさき女神大橋

高鍋島

神ノ島教会

伊王島大橋

       高島       飛島

 端島(軍艦島)    中ノ島 軍艦島

軍艦島

三ッ瀬

ドルフィン桟橋

軍艦島入口 積込桟橋橋台
貯炭ベルトコンベアー址 貯炭場
貯水槽 第2竪抗への昇降階段
総合事務所(赤レンガ) 排水溝?
30号棟・31号棟アパート 天川(あまかわ)の護岸

 
この日の宿泊は、手負いの鹿が沼で傷を癒しているところを見られ温泉が発見されたことで知られる山鹿温泉。
ここは、山鹿灯籠でも有名。街灯・ポストなどいたるところに灯籠がある。その灯籠を展示・保存しているのが「山鹿灯籠民芸館」。かつての安田銀行(大正14年(1925))の内部を改造し、昭和62年4月にオープンした。国登録有形文化財に指定されている。中に入ると天井に龍の絵がかけられている。江戸時代に細川藩主が利用した「御前の湯」の天井に描かれていた細川藩の絵師・狩野洞容(かのうとうよう)の作「双龍の絵」である。

民芸館に行く途中に昔懐かしい芝居小屋があった。「八千代座」(国指定重要文化財)で明治43年当時商工業で栄えた山鹿の旦那衆が八千代座組合を創設、一株参拾円の株を購入し建てた芝居小屋である。大正から昭和初期にかけて当代一流の芸能人たちが熱演した舞台だという。現在も公演などが演じられている。
  

山鹿灯籠民芸館 「双龍の絵」
山鹿灯籠民芸館にて
八千代座
街灯の灯籠 玄関先の灯籠
ポストなどにも灯籠が 歩道を照らす灯籠