福岡空港を出発し、福岡都市高速2号大宰府線を南下し九州自動車道に入るとまもなく木立におおわれた丘がある。これが664年、唐と新羅の攻撃に備えて築かれた大宰府の防衛施設「水城」である。その規模は全長1.2kmにわたり、基底部で幅80m、高さ13mを越える人工の土塁(堤防)を築き、その博多湾側に幅60m、深さ4mの堀をつくり、水を貯えたという。今はご覧のとおり桜並木になっていて、春には多くの花見客で賑わうとのこと。
軍艦島の見学を終え、軍艦島コンシュルジュ桟橋から昼食会場の「ホテル矢太楼」へと向かう途中、「くんち」で有名な「諏訪神社」を通過した。ここも過去2度通っているが、今回初めてきれいに撮れたように思う。
2日目の昼食会場「ホテル矢太楼」は眺めの良いところで、遠く「ながさき女神大橋」が望めた。夜にはここからでも十分夜景を楽しめそうだ。階段脇には蛇踊りのモニュメントが飾られていたが、すぐ傍がトイレとは何ともいただけない。何とかならなかったのだろうか。
「ホテル矢太楼」を出発し、この日の宿泊地、山鹿温泉へと向かった。途中立ち寄った長崎自動車道金立SAから見える正現神社。金立山(きんりゅうさん)<501.8m>の中腹に鎮座する稲荷神社である。約1200年前に寺を建てたのが始まりと言うから由緒ある神社のようである。
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水城(みずき)(車窓) 11月04日撮影 |
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長崎市街地(ホテル矢太楼) 遠く「ながさき女神大橋」が望めた 11月05日撮影 |
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諏訪神社(車窓) 11月05日撮影 |
蛇踊り(ホテル矢太楼) 11月05日撮影
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金立山と正現神社(金立SA) 11月05日撮影
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山鹿温泉を後にし、九州自動車道を北上、鳥栖JCT経由で大分自動車道に合流し湯布院へと向かった。大分自動車道に入って最初に目にしたのがなだらかな山並みを形成する耳納連山。耳納連山は筑後山地の北端に位置し、西から高良山(312.3m)、耳納山(367.9m)、発心山(697.5m)、鷹取山(802m)と東西に約30kmにわたって連なる起伏の多い山地で、3〜4億年前の変成岩で形成されている。
山田SA付近にくると筑後川(ちくごがわ)が見られた。筑後川は、阿蘇山を水源として九州地方北部を東から西に流れ有明海に注ぐ川である。流路延長143.0キロメートル、流域面積約2,860平方キロメートルの河川で規模としては九州地方最大の河川である。
玖珠ICと九重ICの中間点で見えた伐株山(きりかぶさん、きりかぶやま)。伐株山は、大分県玖珠郡玖珠町の耶馬日田英彦山国定公園内にある標高685.5mの山である。『豊後国風土記』によると、玖珠(くす)という地名は、かつてこの地にあった大きな楠に因むものであるという。そして、伐株山は、大楠の木陰となって日が当たらずに困った住民がこの大樹を切り倒した後の切株であるという伝説がある。
九重ICに近づくと九重連山(くじゅうれんざん)が見えてくる。九重連山は、大分県玖珠郡九重町から竹田市北部にかけて広がる火山群の総称である。最高峰は九州本土最高峰でもある中岳
(1,791m) 。日本百名山の一つに数えられ、一帯は阿蘇くじゅう国立公園に指定されている。
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耳納連山 大分自動車道鳥栖JCT付近
11月06日撮影
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筑後川 大分自動車道山田SA付近
11月06日撮影
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伐株山(きりかぶさん、きりかぶやま) 11月06日撮影 |
九重連山(くじゅうれんざん) 11月06日撮影
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金鱗湖を後にし、この日の昼食会場湯布院彩岳館へと向かった。途中、湯布院駅前通りを通ったが、観光地なのに閑散としているのが印象的だった。ほとんどの観光客はバスでやってくるからなのだろうか。彩岳館から見える由布岳、眼下に飯盛山を従えその悠然たる様は圧倒されるものがありました。
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由布岳
11月06日撮影
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湯布院駅前通り
11月06日撮影 |
彩岳館
11月06日撮影 |
湯布院を後にし大分自動車道を西へと向かった。途中、由布岳PAを過ぎると何やら独特の模様をしている牧草地帯を見つけた。内山(1575.5M)の山麓に広がる牧場のようだがそれ以上のことは分からなかった。
もう少し行くと湯煙が立ち昇っている箇所があった。塚原温泉でここには火口乃泉(かこうのいずみ)なるものがあるという。塚原温泉の源泉で、標高約800メートル、噴気が立ち昇る伽藍岳(がらんだけ)1045メートルの中腹にあり、平安の頃より湧き続ける温度約60℃、pH(ペーハー)約1.4、の強酸性の湯である。
日田JCTに近づくと別府湾北部に位置する日田港が見えてきた。
最後に、帰路に就いた飛行機からの写真。機内放送で「御嶽山上空」との報告があり、窓を見るとすぐ傍を通過中で、急ぎカメラを取り出しシャッターを切った。
2014年9月27日11時52分、水蒸気爆発をおこした御嶽山(3067m)。新たな火口は、1979年噴火の火口列の南西250 - 300m付近の位置に平行に複数個が形成された。最初の噴火では火砕流も発生した事が観測された。日本国内において噴火災害で死者を出したのは、1991年6月3日の雲仙・普賢岳の大火砕流以来となり、死者数も雲仙・普賢岳の43人を超え、戦後最悪の57人となった。不明者も7人
となっており、来春予定されている捜索で早期の発見を祈念している。
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別府湾 大分自動車道日田JCT
11月06日撮影
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大分自動車道 由布岳PA付近
11月06日撮影
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塚原温泉
11月06日撮影 |
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御嶽山
11月07日撮影
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