加賀屋に泊まる北陸の旅 車窓篇 2013/11/14〜17
「加賀屋に泊まる北陸の旅」この謳い文句に誘われてやってきた北陸の旅。 初日飛行機で見た富士山(11/14 9時29分)。何度もここを通っているがこんなにも綺麗に見えたのは今回が初めて。この旅行、何か良いことがありそうな予感がしてきた。 中部国際空港からは、セントレアラインを通って東海環状自動車道に入った。入ってまもなく休憩のため刈谷PA(名鉄レストハウス)に立ち寄った。ここは岩ケ池公園に併設しているハイウェイオアシスで、東海地方の名物を取りそろえたショップが勢ぞろいしているセントラルプラザや観覧車などがあり、その規模は大きい。 刈谷PAを後にし北上すると右手に鞍ケ池公園の立看が見えてきた。 ここは鞍ケ池を中心として観光施設が整う、ファミリーパーク。山全体が芝生となっている若草山のほか、動物園、植物園なども整備されている。 豊田勘八ICを降り、最初の見学地「香嵐渓」へと向かった。
香嵐渓を後にし再び豊田勘八ICから東海環状自動車道を北上、土岐JCTから中央自動車道に入り、恵那市付近を通りかかる頃、右手に恵那山が見えてきた。恵那山は木曽山脈(中央アルプス)の最南端の標高2.191mの山。日本百名山及び新・花の百名山に選定されている 。 中津川ICからは中央自動車道を降り国道257号線に入った。 中津川市苗木付近さしかかると木曽川の大井ダムのダム湖である恵那峡が見えてきた。景観がいいことで有名で中央の橋は恵那峡大橋(えなきょうおおはし)。 中津川市田瀬付近を通りかかる頃、国道も257号線に入り、その国道を縫うように流れる清流が見られるようになる。不知川(つけちがわ)で木曽川支流である。 初日の宿泊地が近づく中津川市加子母にさしかかる頃、左手に加子母(かしも)観音菩薩が見えた。とはいってもお寺ではなく、仏具製造会社が建立したもののようだ。
旅行2日目下呂温泉からは国道41号線を北上、ここからこの旅行初めて線路を見ることができ、なにかしら懐かしく思った。高山本線で、岐阜市の岐阜駅から高山駅、猪谷駅を経て富山市の富山駅に至る鉄道路線(地方交通線)である。高山市上岡本町南交差点を右折し跨線橋(こせんきょう)にさしかかるとちょうど下り列車が高山駅に入るところに出会った。 高山からは中部縦貫自動車道に入り、飛騨清見ICを経由して東海北陸自動車道を北上した。白川郷IC付近にほんの一瞬だけ白川郷が見下ろせる箇所があると言うガイドさんの話があり、その瞬間を逃すまいとカメラを構えた。自動車道ということもあり、運転手さんはスピードを緩めることはなく通り過ぎた。その一瞬を捉えたのが下の写真。 白川郷を後しに東海北陸自動車道を北上し、五箇山(ごかやま)IC付近を通る頃、紅葉した瓢箪山の山々が見えたが、いかんせんトンネルが多くそれも長い。仕方のないことだが折角の景観がだいなしだ。いよいよ富山県入りだ。 五箇山の地名の由来は、赤尾谷・上梨谷・下梨谷・小谷・利賀谷の5つの谷からなるので「五箇谷間」となり、これが転じたものらしい。
小矢部砺波(おやべとなみ)JCTを経由して能越(のうえつ)自動車道に入った。氷見市の町が見える頃、右手に富山湾、遠く立山連峰が見えてきた。ちょっとかすみがかかって見えにくいが、ガイドさんによればこれでもいいほうで、運が良かったとのことだった。 氷見市姿付近を通りかかる頃、右手に2つの島が見えてきた。虻ガ島(あぶがしま) である。富山県最大の島で、無人島である。北の島を男島またはタブノキ島、南の島を女島またはマツノキ島という。かつては干潮時に2つの島が繋がることもあったが、現在は完全に分かれており、橋(写真中央)が架けられている。 2日目の宿泊地加賀屋から「ツインブリッジのと」が望めた。「ツインブリッジのと」は正式名称を中能登農道橋(なかのとのうどうきょう)といい、石川県七尾市の中島地区と能登島地区を結ぶ吊り橋である。 3日目、加賀屋を後にし向かったのが能登島。旅行パンフレットにはなかったものの、「能登島大橋(のとじまおおはし)」〜能登島〜「ツインブリッジのと」とまわってくれた。運転手さんの粋な計らいかもしれない。 能登島大橋(のとじまおおはし)は、石川県七尾市の和倉温泉地区から能登島地区へ至る石川県道47号七尾能登島公園線上、七尾湾の屏風瀬戸(びょうぶせと)に架かるプレストレスト・コンクリート橋。石川県で最も長い橋である。 能登島(のとじま)は、石川県で最も大きい島で、七尾市の七尾湾を塞ぐ形で浮かんでいる。
道の駅輪島(みちのえき わじま)は、石川県輪島市にある道の駅。愛称は「ふらっと訪夢」。 なかなかしゃれた名である。「のと鉄道七尾線」の終点であった輪島駅に代わる観光拠点として、旧輪島駅を再整備しオープンした。実質的に北鉄奥能登バスを始めとする路線バスのバスターミナル(輪島駅前)として機能している。 輪島を離れ兼六園へと向かう途中、昼食のため千里浜レストハウスに立ち寄った。ここにある千里浜なぎさドライブウェイは全長約8kmの砂の上の道路である。実際走ってみてもらったが、景色が美しいわけでもなくただ珍しいだけのようだ。 金沢市内に入り兼六園近くの兼六園下交差点から、小さく見える前田利家公の銅像が、そして遠くに石川門が見えた。 兼六園を後にし、北陸自動車道を南下、本日の宿泊地、加賀中山温泉へと向かった。片山津ICを降りるとまもなく片山津温泉(かたやまづおんせん)が見えてきた。ちょうど夕日が沈む頃で、温泉街をバックに柴山潟に映しだされる夕日は何とも言えないものがありました。柴山潟は今江潟、木場潟、柴山潟の総称である加賀三湖(かがさんこ)の1つ。
この旅行最終日、加賀中山温泉を後にし湖東三山へと向かった。福井北ICから北陸自動車道を南下、鯖江IC付近に何やらメガネの形をしたモニュメントが乗っているビルが見えてきた。「めがねミュージアム」で体験工房・博物館がある。鯖江市はメガネフレームの生産地で、明治38年(1905)から始まったとされ、それから100年後の現在、国内の約9割、世界の約2割にあたる眼鏡フレームが生産されている。 越前市に入るとバスガイドさんが紫式部の話を始めた。越前市との係わりは帰ってから調べてみると以下のようである。 長徳2年(996年)、紫式部は越前守(えちぜんのかみ)に任ぜられた父・藤原為時とともに越前国(えちぜんのくに)で一時期を過ごした。越前国府は武生にあり、当時の国司の館は寝殿造であったと考えられている。 紫式部をしのび、武生市(現在の越前市)において平安時代の貴族の住居を模した3000坪の広大な敷地を誇る紫式部公園が作庭された。
敦賀トンネルを抜けると敦賀半島が見えてきた。半島先端には今話題の敦賀原子力発電所がある。このような美しい風景を福島のような最悪の光景に変貌させないでほしいと願わずにはいられない。 最後の写真は中部国際空港セントレアのイルミネーション。11/16から始まったようで、17日にも点灯式が開催されていた。