老舗ホテルめぐり 金谷ホテル・華厳の滝篇 2014/07/15

今度の旅行はこれまでとは趣が違い、老舗ホテルめぐり。今回訪れたホテルはそれぞれ日光金谷ホテル1893年(明治26年)創業、軽井沢万平ホテル1894年(明治27年)創業、箱根富士屋ホテル 1878年(明治11年)創業 という老舗ホテル。著名人も数多く泊まっている有名ホテルだ。外人相手のホテルとあって大浴場はなくバストイレも今のビジネスホテル同様の造りになっているので、風呂でのんびり過ごしたいタイプにはやや物足りなさを感じるホテルかもしれない。

中学の修学旅行以来実に半世紀ぶりにやってきた日光。記憶は私の髪同様大分薄れていて、見るもの全て新鮮だった。
初めに向かったのが華厳の滝。途中、日光市役所庁舎(現在は日光総合支所)が見えた。立派な建物だと思っていたらそれもそのはず地元実業家小林庄一郎が外国人観光客向けのホテルとして建設したもので、通称大名ホテルと呼ばれているもの。和洋折衷入母屋造りの市庁舎は国の登録有形文化財、経済産業省の近代化産業遺産に指定されている。

次に見えたのが日光田母沢御用邸記念公園(にっこうたもざわごようていきねんこうえん)。皇太子時代の大正天皇の静養所として造営された旧御用邸の建物と庭園を公園として整備し一般公開している。国の重要文化財に指定されている。

細尾大谷橋から見る国道122号線。銅山街道(あかがねかいどう)がある道。江戸時代、足尾銅山から江戸まで銅を運ぶために造られた足尾銅山から亀岡までの街道である。銅は、「あかがね」とも言われていたことからこの名がついた。

華厳の滝エレベーター。 昇降行程100m所要時間1分。15,000年前、男体山の噴火で流れ出した溶岩が川をせき止められてできたのが中禅寺湖。その湖水が高さ97m・幅7mの大岸壁から落下しているのが華厳の滝。滝つぼの深さは4.5mあるとのこと。この滝を滝つぼの高さで見られるのがエレベーターを利用してこられる滝壺観爆台。しかし、この日は風の向きが悪かったのか、滝のしぶきが飛んできて霧に包まれたような状況下の撮影となった。むしろ、上部観爆台から見る華厳の滝のほうがきれいに見えた。華厳渓谷周辺では他に阿含滝(高さ:35m)、方等滝(高さ:30m)、般若滝(高さ:15m)、涅槃滝(高さ:20m)もあることから、五時の教判(華厳時・阿含時・方等時・般若時・法華涅槃時)から、それらと同様に命名されたものと考えられている。

 

華厳の滝(滝壺観爆台より)

華厳の滝(上部観爆台より)

日光市役所庁舎(車窓) 日光田母沢御用邸記念公園(車窓)

銅山街道(あかがねかいどう)に向かう道(車窓)

第2いろは坂(上り)初めのカーブ

黒髪平 標高1173m (車窓)

二荒橋から中禅寺湖橋・中禅寺湖を望む(車窓)

華厳の滝エレベーター

第1いろは坂(下り)初めのカーブ(車窓)

いろは坂(車窓)

方等滝(車窓)

般若滝(車窓)

第1いろは坂最後のカーブ(車窓)


日光金谷ホテル。部屋の広さ、従業員の接客態度、料理全てにおいてさすがと思われるところがありました。ホテルから大谷川(だいやがわ)に降り、二荒山神社神橋を見上げることが出来る散策路がある。妻と二人で出かけてみたが、蒸し暑くこの時期は止めたほうが賢明かもしれない。

ホテルの近くに板垣退助銅像と天海大僧正(慈眼大師)像がある。
板垣退助は1863年(明治元年)戊辰戦争の時、新政府軍の将として日光廟に立てこもった大島圭介らの旧幕府軍を説得し社寺を兵火から守ったと言われている。その遺徳を讃え昭和4年に建設された。第2次大戦中に軍需に徴収されたが昭和42年に再建された。彫刻家新関国臣の作。
天海大僧正は比叡山で天台宗の奥義を極めた後、徳川家に仕え日光山の貫主となる。家康亡き後家康の遺言を守り久能山から遺骨を日光に移し東照宮の創建に尽くしたといわれる。彫刻家倉沢実の作。
 
日光 金谷ホテル
神橋(二荒山神社)
板垣退助銅像 天海大僧正(慈眼大師)