岩手三陸の旅 田老篇 2019年7月9日


   
心配された雨もどこかへ飛んでいったらしく、空はきれいに晴れ上がった岩手三陸海岸。風はそよ風、波は凪。最高の旅となった。

一度は来て見たかった浄土ヶ浜。大震災の影響が心配されたが、景観は損なわれていないようだった。しかし、復興はまだまだで、全国各地に台風や豪雨による被災地が増えたことや、特にオリンピックの影響で資材が不足し復興工事が遅れているとのことだった。地元の人達が、「オリンピックをやっている場合じゃない」と、口をそろえて叫んでいたのが心に残った。<復興オリンピック>とは名ばかりで、逆に被災地の人達を苦しめているオリンピックのように思われた。

バスは古川ICから東北自動車道を北上、北上江釣子ICで国道107号線を東進した。 釜石自動車道へは江差田瀬ICから乗ったが、このIC入口は大型バスとしては道幅の狭いカーブのきつい所で、運転手さんも苦労していたようだった。昼食のため一度遠野ICで降り道の駅遠野風の丘に停車した。

午後は再び遠野ICから入り釜石JCTを経て三陸道を北上し最初の見学地、田老へと向かった。
    

野島  

(三陸道にて) 崎山
大島

(三陸道にて)

山田町 (三陸道にて)

  
田老町に入ると下の写真のように建物の壁に<津波浸水深>という看板が掲げられている。

岩手県宮古市の田老地区を襲った8年前の大津波(高さ約16メートル)は、「万里の長城」とも呼ばれた長大な防潮堤を乗り越え、街を飲み込んだ。海岸沿いでは現在、令和2年度に完成予定の防潮堤の工事が進んでいるが、資材不足で工事がストップししているところもあって、完成は大きくずれ込むものと思われる。長さは約1.2キロで、海面からの高さ14.7メートル。旧防潮堤の上からこの防潮堤を望むと、海面が見えづらくなってきている。
  

ここでは津波が2階まで押し寄せたようだ 
  
被災地では復興工事によって国道の位置が大きく変わっている 
  

2016年に移転し完成した田老野球場 野球の他にロックフェスなどのイベントも開かれているようだ
  

三陸鉄道北リアス線 田老駅 線路は瓦礫で埋め尽くされたが、駅舎の倒壊は免れた
  
万里の長城と言われた#1〜#3の旧防潮堤(海面からの高さ10m)が交わる場所
  

田代川水門にぶつかった津波は方向を変え海からの津波と一緒になり増幅して第二防潮堤を破壊し、たろう観光ホテルを直撃した
  

旧防潮堤は地盤沈下の為、80cm〜1mのかさ上げ工事が行われた 第三防潮堤は完全に破壊されている
  

震災遺構となっている<たろう観光ホテル> 田代川水門から来た津波は第二防潮堤を破壊し、たろう観光ホテルを直撃した
  

旧防潮堤側から見た新防潮堤(海面からの高さ14.7m) 現在は海が見えるが新防潮堤が完成すれば海は見えなくなる
  

完成した防潮堤
  
ストップしている防潮堤工事
  
過去の津波到達点を表した<たろう製氷貯氷施設> この施設も被災した
  
震災遺構の<たろう観光ホテル>
  
1階2階は完全に破壊ざれている
  
破壊された2階部分
  
6階のエレベータ付近 当時と何も変わらない風景になぜか寂しさを覚えた

   
田老のシンボル<三王岩>。1億年もの歳月をかけて、寄せる波と吹き付ける風が作った自然の造形美。白亜紀(1億年頃前頃)の海に堆積してできた砂岩や礫岩(宮古層群)から構成されている。

女岩(向かって左側) は高さ23メートル で脚部が羅賀層、上が茂師砂岩部層。

男岩(中央)は高さ50メートルから5分の2が羅賀層、その上が茂師砂岩部層 で直径2メートルの海しょく洞。

太鼓岩(向かって右側)は
高さ17メ ートル で茂師砂岩部層からなる転石。

下の写真は上にある駐車場から撮ったもので、左側面の三王岩。やや表情が違って見える。
  

   
休暇村陸中宮古近くにある姉ヶ崎展望所から見た姉ヶ崎。先端部分(赤丸印)になにやら動くものがいたので望遠で撮ったのが下の写真。どうやらその正体は<ウミウ>で、ウミウのの営巣地のようだ。
   

   
休暇村陸中宮古近くにある浄土ヶ浜展望所から見た浄土ヶ浜。ちょっと曇っていたのが残念である。