岩手三陸の旅 浄土ヶ浜篇2019年7月10日


   
晴れ渡った空と穏やかな海はどこまでも青く澄み切っていた。

浄土ヶ浜の地名は、天和年間(1681〜1683)に宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖(1727年没)が、「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名付けられたと言われている。

浄土ヶ浜は今から約 5200 万年前の古第三紀(白亜紀の次の時代)に火山岩で形成され、その白さは青い海や空に映え見事なコントラストをかもし出している。
    

浄土ヶ浜大橋

浄土ヶ浜大橋にて

  
浄土ヶ浜マリンハウス前の船着場。ここからサッパ船(小型の磯船)に乗って青の洞窟を目指す。出発したサッパ船をを追ってウミネコが飛んでいった。乗客が投げるエサガ目的で、エサの与え方が悪いと上からフンが降ってくるとか・・・・。
  
  
サッパ船では、船頭さんとは距離が離れていたため説明が良く聞こえなかったため、とりあえず写真を撮ることに専念した。
初めに行ったところは
小安地蔵で地元の人々が家族の健康と大漁を祈願して信仰している神様。賽の河原の小石を持って拝みに行くことから、ここを「賽の河原の地蔵さん」と呼んでいる。
    
   
賽の河原 は小安地蔵の登り口の入り江にあり、天然の石の堤防があるため、小石や砂が流れ出さず残っているので、まるで河原のようになっていることから、この名前が付いたのだという。
  
 
  
小安地蔵のある島から左手にあるのが剣山。浄土ヶ浜のビューポイント。
小安地蔵のある島の先端が<
汐かけ>。この辺りが波で白くなれば海が荒れると言われている。

   
  
マリンハウスの右手に見える<御台場>。ペリー来航に備え砲台をおいた東京のお台場とは違い、ここは戊辰戦争時、官軍と旧幕府軍とが戦った際、砲台をおいたことからこの名前で呼ばれている。以前は穴崎と言われていた。
  
  
八戸まで通じていると言われたことから名付けられた<八戸穴>。実際は通じているわけではなく奥では潮が吹いている。しかし、ここが有名な<青の洞窟>。その美しさは実際見たものでなければ分からないだろう。ただこれは太陽の光が成せる業。これほどの晴天に恵まれなければ見ることは出来なかっただろう。
  
  
浄土ヶ浜海水浴場に向かう途中の遊歩道から見たお台場
  
  
浄土ヶ浜はどこまでも青くどこまでも白かった。海は透き通りまさに浄土の世界。冥土の土産ができたようだ。三枚目の写真は浄土ヶ浜の岩と岩の間を通る遊覧船。ガイドさんによれば、有名な撮影ポイントだという。

ここの海水浴場、夏でも結構冷たいそうだ。また、岩が硬く砂はできないとのことで裸足で歩くにはちょっときついかも。

   
  
最後は番外編。サッパ船に乗船中追いかけてきたウミネコを撮ってみた。