東京・鎌倉・駿河の旅 鶴岡八幡宮篇  2016/4/1

東京の宿泊は帝国ホテル。団体の出入りは宴会ロビーからのようで、残念ながら正面ロビーでの写真撮影はできなかった。それにしても部屋付冷蔵庫の飲み物は高かった。缶ビール350mℓで756円。さすが帝国ホテル。同じ缶ビールでもここのホテルの缶ビールはひと味違う錯覚に見舞われた。

次の日、鎌倉に向かってバスはレインボーブリッジ・羽田空港を経由して首都高速湾岸線を南下した。鶴見つばさ橋の「逆Y」と横浜ベイブリッジの「H」で<YOKOHAMA>を表しているとのこと。
        

レインボーブリッジ 東京タワー
鶴見つばさ橋(首都高速湾岸線) 横浜ベイブリッジ(首都高速湾岸線)

       
鶴岡八幡宮へは、駐車場の関係で鳥居はくぐらず西側脇から入った。細い道を歩いていくとちょうど手水舎がある辺りに出てきた。大石段(61段あるようだ)の前に舞殿がある。楼門をくぐるとそこからは撮影禁止とのことで残念ながら写真はない。
楼門にかかげられている額に「八」の字が向かい合った鳩の姿で描かれていることから「鳩宮」とも呼ばれている。鳩は八幡神の使いとして崇められてきたようだ。

石段左手に「大銀杏」がある。
源頼家の子で八幡宮の別当を務めていた公暁がこの銀杏の木に隠れて待ち伏せ、源実朝を殺害したという伝説から「隠れ銀杏」とも呼ばれている。2010年3月10日強風のため倒伏した。
        

楼門
源氏池
手水舎 大石段と楼門
舞殿 舞殿(石段側より)
太鼓橋
平家池 源氏池
旗上弁財天社(源氏池) 大銀杏

       
八幡宮の鳥居や段葛は高徳院の大仏から帰って時間あったら見ようと、とりあえず「源頼朝の墓」を目指した。警備員に聞いたら7分くらいで行けるとのことだったが10分以上はかかったと思う。細い道を辿ることになるが案内板がきちんと設置されており迷うことはなかった。

墓に向かう石段の前に「源頼朝公顕彰碑」がある。歌碑は源頼朝研究の第一人者であった大森金五郎氏によるもの。 「君出でて民もしづまり九重の塵もをさまる世とはなりにけり」
頼朝の出現によって世の中が平穏になり宮中のごたごたも収まったということだろうか。

石段左手には白旗神社がある。頼朝死後、頼朝自身の持仏堂であった法華堂に葬られ頼朝の墓として信仰されてきたが、明治になり頼朝を祭神とする白旗神社に改められた。ここの狛犬、壊され一定期間台座だけだったと言う。

白旗神社から頼朝墓までの石段。頼朝が亡くなった年齢から53段あるとか。
法華堂跡に建てられた頼朝の墓は、島津藩主・島津重豪(しまづ しげひで)が建立したようだ。この塔も白旗神社の狛犬同様壊され一時期、門が閉鎖されたようだ。

頼朝墓右手に「元祖島津豊後守忠久石塔道」がある。もしかしてお墓?と思ったが、実は道しるべみたいなもののようで、ここから100mほど登っていくと島津忠久のお墓があるらしい。
        

源頼朝の墓
白旗神社 源頼朝公顕彰碑
石段 元祖島津豊後守忠久石塔道