八幡宮の鳥居や段葛は高徳院の大仏から帰って時間あったら見ようと、とりあえず「源頼朝の墓」を目指した。警備員に聞いたら7分くらいで行けるとのことだったが10分以上はかかったと思う。細い道を辿ることになるが案内板がきちんと設置されており迷うことはなかった。
墓に向かう石段の前に「源頼朝公顕彰碑」がある。歌碑は源頼朝研究の第一人者であった大森金五郎氏によるもの。
「君出でて民もしづまり九重の塵もをさまる世とはなりにけり」
頼朝の出現によって世の中が平穏になり宮中のごたごたも収まったということだろうか。
石段左手には白旗神社がある。頼朝死後、頼朝自身の持仏堂であった法華堂に葬られ頼朝の墓として信仰されてきたが、明治になり頼朝を祭神とする白旗神社に改められた。ここの狛犬、壊され一定期間台座だけだったと言う。
白旗神社から頼朝墓までの石段。頼朝が亡くなった年齢から53段あるとか。
法華堂跡に建てられた頼朝の墓は、島津藩主・島津重豪(しまづ しげひで)が建立したようだ。この塔も白旗神社の狛犬同様壊され一時期、門が閉鎖されたようだ。
頼朝墓右手に「元祖島津豊後守忠久石塔道」がある。もしかしてお墓?と思ったが、実は道しるべみたいなもののようで、ここから100mほど登っていくと島津忠久のお墓があるらしい。
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