東京・鎌倉・駿河の旅 小田原・熱海篇  2016/4/1

小田原城は戦国時代から江戸時代にかけての日本の城(平山城)で、北条氏の本拠地として有名である。 3代当主北条氏康の時代には難攻不落、無敵のお城といわれ、上杉謙信や武田信玄の攻撃に耐えた。
天守閣は昭和35年に復興されたもので、今回は残念ながら工事中とのことで入れなかったが、桜とのコラボレーションを楽しむことが出来た。

小田原城本丸には常盤木門、鉄門の2つの城門があり、このうち常盤木門は本丸の正門にあたり、重要な防御拠点であったために、他の門と比べても大きく、堅固に造られていた。多聞櫓と渡櫓門を配し、多聞櫓は武器等の貯蔵庫として用いられていた。
常盤木とは常緑樹の意で、門の傍らには往時から松が植えられており、また、松の木が常に緑色をたたえて何十年も生長することになぞらえ、小田原城が永久不変に繁栄することを願って、常盤木門と名付けられたといわれている。

イヌマキは幹回り4.5mに及ぶ小田原市内最大の巨木で樹高約20mある。
銅門は二の丸の正門にあたり、渡櫓門(わたりやぐらもん)、内仕切門(うちじきりもん)と土塀で周囲を囲む枡形門(ますがたもん)の構造を持つ。渡櫓門にはその名の由来となった銅板の装飾がある。
        

小田原城
常盤木橋の桜 常盤木門前の階段
天守閣
住吉橋 イヌマキと桜
常盤木門
銅門(あかがねもん)

       
熱海は尾崎紅葉の金色夜叉「寛一お宮」で一躍有名になったところ。お宮緑地に「寛一お宮の像」がある。
「いいか宮さん。来年の今月今夜… 再来年の今月今夜…、10年後の今月今夜…、一生を通して僕は今月今夜を忘れん、僕の涙で必ずこの月を曇らして見せる。」
この名セリフを吐いた後、宮を足蹴にして立ち去るシーンを表したもの。
傍らに「お宮の松」と「初代お宮の松」がある。「お宮の松」は当初「羽衣の松」と呼ばれていたが、昭和9年ごろから「お宮の松」と呼ばれるようになったようだ。

熱海城(あたみじょう)は、熱海市の錦ヶ浦山頂にある観光施設で、歴史的に実在したものではないとのこと。

熱海温泉「ロイヤルウィング」からは魚見崎と初島が見えた。魚見崎の先端は烏帽子岩があり、眼下に広がる海は錦ヶ浦である。また、遠く初島が見える。周囲約4キロ、人口およそ200人、戸数は江戸時代から変わらない41戸の小さな島である。漁業中心の島だが、今はアイランドリゾートとして観光面でも有名である。
             

寛一お宮の像(車窓)
お宮の松(お宮緑地)(車窓) 初代お宮の松(お宮緑地)(車窓)
?のオブジェ(お宮緑地)(車窓) 熱海城(車窓)
魚見崎(ホテルロイヤルウィングより) 初島(ホテルロイヤルウィングより)