東京・鎌倉・駿河の旅 滝・大社篇  2016/4/2

最終日、最初に訪れたのは三島大吊り橋。眺めが良く富士山が見える絶景ポイントというセールスポイントに乗ってやってきた。当日は霧雨が降るあいにくの天気でまず富士山が見えない。確かに360度と言うわけでもないが辺り一面見渡せる所だが絶景と言うわけでもない。秋の紅葉のころなら何とか映えるような気もするが、特段生活するうえで必要性が全くないこの橋に40億円かけた意味が分からない。<富士山見えなければただの橋>そう思ったのはこの爺だけだったろうか。

次に向かったのが白糸の滝。以前、富士山巡りのツアーで来たときはここを素通りしたため、残念に思っていた所でもある。白糸の滝は2013年世界文化遺産登録された内の1つである。2014年グットデザイン賞受賞の滝見橋 を渡って滝壷近くまで行くとその壮大な眺めに圧倒される。高さ20m幅200mの湾曲した絶壁の全面にかかる白糸の滝は、本滝の一部を除いてそのほとんどが富士山の湧水。年間を通じて水温12℃、毎秒1.5トンの湧水から吹き出るマイナスイオンに包まれると疲れが一気に吹き飛んだ。

音止の滝は見学コースになかったため、見学できるとは思っていなかった所だが、行ってみてビックリ。白糸の滝を見学するためには必ず音止の滝を通り過ぎて行かなければならないのである。必然的に両方見学するようになっている。
この滝は白糸の滝とは対照的に勇壮な滝で、高さ25mの絶壁から轟音をとどろかせている。その昔、曾我兄弟が父の仇の工藤祐経(くどうすけつね)を討つ相談をしていた際、滝の音で声がさえぎられたため、しばし神に念じたところ一瞬滝の音が止んだという伝説からこの名が残されている。
           

三島大吊り橋 天気が良ければ正面に富士山が見える
三島大吊り橋
白糸の滝
白糸の滝と滝見橋
音止の滝 音止の滝 の落下地点

       
このツアー最後の見学地「浅間大社」。1604年、徳川家康が奉賽のために造営したもので、本殿・拝殿・舞殿・楼門等壮観を極めたものだったが、寛永安政等の大地震で破壊したものもあり、当時の建物で現存するのは本殿・幣殿・拝殿・楼門のみ。徳川家康で思い出されるのが日光東照宮。色といい様々な彫刻といい何となく似ているような気がした。

主祭神は木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)。木花という御神名から桜が御神木とされている。境内には500本もの桜樹が奉納されており、春には桜の名所として賑わっている。この日も境内には花見会場が設置されており、流鏑馬像も屋台のテントや発電機などに取り囲まれ動きづらそうだった。

駐車場から第二大鳥居をくぐり参道を歩くと石鳥居が見える。さらに行くと輪橋を中心とした鏡池がある。眼鏡のように見えるためか一名眼鏡池とも言われている。
楼門石壇上には天然石の鉾立石がある。明治初年まで行われていた山宮御神幸の際、神鉾を休め奉った所である。
楼門は、2階入母屋造で、楼門の左右には随身が安置してある。覗いて見たがなかなか見えずらい。

社務所前にある桜の下には「火山弾」と「南極の石」が置いてある。「火山弾」は富士山噴火のときに落下したもので、およそ100Kg。 「南極の石」は富士浅間大神を奉斎している砕氷船「ふじ」の乗組員から奉納されたもの。

東脇の門を出ると左手に天神社がありさらに進むと水屋神社がある。ここには富士山御霊水といわれる富士山の伏流水が飲める所がある。飲んでみた。水道水にある生臭さはなく爽やかな味がした。

さらにその奥には平安朝の歌人平兼盛が「つかうべきかずにをとらん浅間なる御手洗川のそこにわく玉」と詠んだ湧玉池がある。この池では富士山登山者が霊水に禊ぎをして登山する古くからの習わしがある。 この日も登山者と思われる方々が、身を白装束で包み深い祈りを捧げていた。
       

浅間大社 この日は友引、何組かの結婚式が執り行われていた
大社にはいろいろな鮮やかな彫刻が見られる
第二大鳥居 枝垂れ桜(桜の馬場にて)
参道入り口 奥に石鳥居が見える
狛犬「吽像」 狛犬「阿像」
流鏑馬像 鉾立石
鏡池(輪橋の左) 鏡池(輪橋の右)
楼門全景
楼門(参道から) 楼門(境内から)
境内桜(火山弾と南極の石)
境内桜
天神社 水屋神社
富士山伏流水で飲むと爽やかな味がした
湧玉池 かみぢはし(右)かみぢひらはし(左奥)
湧玉池
稲荷神社 稲荷神社灯篭の鳩
神幸橋と東鳥居
かみぢはし 厳島神社