奈良県を巡る旅 吉野山篇  2017/4/13

どういう訳か最後に残った奈良県を旅してきた。これで47都道府県全てを回ったことになる。
空は前日までの雨模様がウソだったかのように晴れ渡り、日本一周達成を祝福しているようだった。

初日行ったのが桜の名勝「吉野山千本桜」。下千本・中千本・上千本と山の高低で分かれており、今回行ったのは中千本まで。千本というが実際は200種3万本あるという。上千本の最終地点である高城山展望台まで歩くと死ぬ思いをするそうだが、展望台までは自動車で行け4台ほどの駐車場まであるという。
         

吉野山 駐車場にて
中千本(吉野山ロープウェイ方面) 七曲り
七曲り
七曲り

   
大橋は天王橋・丈の橋(現存していないようだ)とともに吉野三橋といわれる。

金峯山寺黒門(きんぷせんじくろもん)は吉野山への総門で、昔は公家、大名といえども馬や駕籠から降り、槍を伏せて通ったという。様式は城郭によく見られる高麗門。

弘願寺 は吉野山の黒門をくぐって最初にあるお寺。本尊は阿弥陀如来立像(県指定文化財)で鎌倉時代の正元2(1260)年の作。 歯痛に霊験があるといわれる関屋地蔵を祀っており、毎年6月4日には歯がため地蔵祭が行われる。

金峯山寺 銅の鳥居(重文)(きんぷせんじかねのとりい) は黒門からの急坂を登りつめたところにある。高さ約7.5m、柱の周囲約3.3m、すべて銅製。1348(正平3)年に高師直の兵火で焼失したあと、室町時代に再建された。
正しくは発心門といい山上ヶ岳までの間に発心・修行・等覚・妙覚の四門があり、これが最初の門。行者たちはここから向こうを冥土と見たて、ひとつ門をくぐるごとに俗界を離れて修行する決心を強めていったという。

    

大橋 天野屋付近
黒門 弘願寺
銅の鳥居 行者堂

   
峯山寺二王門(国宝) は仁王門ともいい本堂(蔵王堂)の北側に位置する入母屋造、本瓦葺きの二重門(二重門とは2階建て門で、1階と2階の境目にも屋根の出をつくるものを指す)。本堂が南を正面とするのに対し、二王門は北を正面とし、互いに背を向けるように建っている。これは、熊野から吉野へ(南から北へ)向かう巡礼者と吉野から熊野へ(北から南へ)向かう巡礼者の双方に配慮したためという。

金峯山寺本堂(蔵王堂)(国宝)は7世紀に活動した伝説的な山林修行者・役小角が開創したと伝えられ、蔵王権現を本尊とする寺院である。役の行者とは2014年4月に行った富士山巡りで石廊崎にて出会っている。
役行者(えんのぎょうじゃ)の呼び名で広く知られる役小角は、7世紀前半に今の奈良県御所市に生まれ、大和国と河内国の境にある葛城山(現在の金剛山・葛城山)で修行し、様々な超能力をもっていたとされる伝説的人物で、伊豆に流罪されたという。

水神社 はもとは吉水院という、金峯山寺の格式高い僧坊だったが、明治のはじめ、後醍醐天皇、楠木正成、宗伸法印をまつる神社に改められた。源義経が静御前や供のものと逃げのびてきたのも、太閤秀吉の花見の本陣となったのもここだという。
    

金峯山寺二王門 観音堂
金峯山寺本堂(蔵王堂) 中央は銅燈籠
金峯山寺本堂(吉水神社参道にて)
東南院(とうなんいん) 東南院多宝塔

上千本(吉水神社参道にて) 正面左奥 如意輪寺方面  正面中央奥 横川覚範首塚 方面  正面右奥 高城山方面

吉水神社