奈良県を巡る旅 談山神社・安倍文殊院篇  2017/4/14

談山(たんざん)神社。権勢をほしいままにしていた蘇我蝦夷(えみし)と入鹿(いるか)親子を暗殺するために、中臣鎌子(なかのとみのかなこ)(後の藤原鎌足公)と中大兄皇子(後の天智天皇)が多武峰(とうのみね)の山中に登って談合したことから後にこの山を「談(かたら)い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の由来になったとのこと。

神廟拝殿前にある蹴鞠の庭。中臣鎌子と中大兄皇子が始めてあった蹴鞠会(けまりえ)にちなんで開催されている「けまり祭」はここで行われる。

権殿は、摂政右大臣藤原伊尹(ふじわらのこれただ)によって天禄元年(970)に創建された。
十三重塔は鎌足公の没後、長男の定慧(じょうえ)によって678年に建立された。

大宝元年(701)には神殿が創建され、漆塗極彩色、三間社春日造の本殿には鎌足像が祀られており、日光東照宮の手本になったといわれている。
         

談山神社 鳥居
談山神社 駐車場にて
参道にて
石燈籠(後醍醐天皇寄進) 鳥居
参道にて 総社本殿(左)  総社拝殿(右)
総社拝殿
けまりの庭(手前広場) 権殿(左奥) 神廟拝殿(右) 十三重塔(右奥)
権殿 スロープにて
十三重塔
十三重塔 御本殿
楼門(中央) 拝殿(右)
拝殿 拝殿から見た「恋の道」(燈籠下) 東殿(左端)

   
安倍文殊院は、大化の改新(645)に創建された日本最古に属する寺院。御本尊は「三人寄れば文殊の智恵」の格言で有名な文殊菩薩。 日本三文殊の第一霊場(京都府・天橋立切戸の文殊、山形県・奥州亀岡の文殊)「大和安倍の文殊さん」として名高い。

お参りは独特で、本堂に入るとまず説法とお寺の説明があり、その後本堂の仏像にそれぞれ巡拝することになるがそれも順序があるとのこと。最後に小部屋の仏像を僧侶と一緒に拝む。

金閣浮御堂では、「厄除け七まいり」と称し左回りに7回、堂の周りをまわり、その都度厄除けの言葉を言い「七まいりおさめ札」を1枚づつ納めていく。ただ、団体さんの場合は混雑することから1回だけまわり1度に7つの厄除けの言葉を言い札を全て納めればいいという。1度に7つの厄除けの言葉、なかなか言い出だせなかった。

「くずは稲荷」として祀られている稲荷舎。信太森葛葉(しのだのもりくずのは)稲荷神社には、葛の葉姫(伝説上の白狐)と伝説上の人物安倍保名(あべのやすな)の恋物語が秘話としてあり、この二人(?)の子が安倍晴明だという。

には寛永二十年(1643)の銘がある。 この鐘には「古来より安倍の地三か村の分水の鐘、四六の刻にこの鐘を打ち各村へ分水する」旨の文字が刻印されている。古来よりこの池は貯水池として貴重な池であったことが想像できる。

石佛群は江戸時代に当山の安倍山境内地にひらかれた四国88ヶ所、西国33ヶ所の各霊場本尊佛としてまつられていた石佛を、この地に一同に安置したものである。
江戸時代、四国・西国の霊場を巡拝できない庶民に気軽にお参りできるようにしたもので、ここの石佛にお参りすると四国88ヶ所、西国33ヶ所の各霊場を巡拝したのと同じ功徳を得るという。
    

安倍文殊院本堂
参道にて 本堂
仲麻呂堂 (金閣浮御堂)
仲麻呂堂 (金閣浮御堂)と文殊池
金閣浮御堂から見る対岸の桜 梵鐘 と稲荷舎
不動堂 石佛
十一面観音 白山堂