談山(たんざん)神社。権勢をほしいままにしていた蘇我蝦夷(えみし)と入鹿(いるか)親子を暗殺するために、中臣鎌子(なかのとみのかなこ)(後の藤原鎌足公)と中大兄皇子(後の天智天皇)が多武峰(とうのみね)の山中に登って談合したことから後にこの山を「談(かたら)い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の由来になったとのこと。
神廟拝殿前にある蹴鞠の庭。中臣鎌子と中大兄皇子が始めてあった蹴鞠会(けまりえ)にちなんで開催されている「けまり祭」はここで行われる。
権殿は、摂政右大臣藤原伊尹(ふじわらのこれただ)によって天禄元年(970)に創建された。
十三重塔は鎌足公の没後、長男の定慧(じょうえ)によって678年に建立された。
大宝元年(701)には神殿が創建され、漆塗極彩色、三間社春日造の本殿には鎌足像が祀られており、日光東照宮の手本になったといわれている。
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