西九州の旅 唐津・伊万里篇  2014/03/29

2年前に九州一周旅行で来た時、ツアーの設定から外れてしまった西九州。今回、思いがけず来ることができた。
初日は残念ながらどしゃ降りの雨、福岡空港から宿泊先の平戸までその雨は止むことがなかった。

福岡空港周辺ではすでに桜は散り始めており、菜の花も満開だった。伊万里までの写真は全て車窓からで悪天候の影響もあって写真の出来はいまひとつで残念としか言いようがない。

唐津市に入って最初に見えてきたのは神集島(かしわじま)。唐津市の北西部沖合約1kmに位置する人口600人、周囲7kmほどの離島である。島名は神功皇后の新羅出兵に際して行われた儀式に由来する。唐津市街地から見た島の形が台形であり、その形から軍艦島と呼ばれることもある。

次に見えてきた高島。唐津市の沖合い3キロメートルほどのところにある人口約400人の離島である。宝くじが当たるという評判の宝当神社があり、宝くじのシーズンには多くのファンが訪れる。

1度は見てみたかった虹の松原。唐津湾沿いに、虹の弧のように連なる松原。唐津藩初代藩主、寺沢志摩守広高が、防風・防潮林として植林したのが始まりで、全長5km、幅1kmにわたって続く松は、約100万本と言われている。 今では、三保の松原、気比の松原とともに日本三大松原の一つに数えられ、国の特別名勝に指定されている。だが、その景観の良さは車窓と悪天候の影響かよく分からなかった。松原の中をバスが通った。面白くない。松原は天橋立もそうだが遠くから見るのが良い。

松原に入る手前から鏡山が見えてきた。鏡山は標高284mの台形の山で、鏡山神社、展望台、池や公園などがある。山の所々から咲いている山桜が見えた。

松原を抜けると唐津城が見えてきた。唐津城は、豊臣秀吉の家臣、寺沢志摩守広高によって慶長7年(1602)から7年の歳月を費やして築城された。東西に伸びる松原が両翼を広げた鶴のように見えることから、 別名「舞鶴城」と呼ばれている。唐津城築城当初は、天守閣はなかったが、昭和41年に文化観光施設として天守閣が建てられた。

福岡空港(車窓)

神集島(かしわじま)(車窓)

高島(たかしま)(車窓)

虹の松原(車窓)

鏡山(車窓)

唐津城(車窓)


伊万里焼で有名な大川内山窯元。相変わらずのどしゃ降りで傘をさしての見学となった。とりあえず、事前に調べておいたコースを回ることにした。
バスを降りてまず目に付いたのが鍋島藩窯橋。窯元と言われるだけあって橋が焼き物でおおわれていた。

最初に行ったのが関所。藩窯時代関所によって閉ざし、秘法を守った大川内山にふさわしく、関所を再現している。 関所をくぐり陶工橋を渡ると左手に「めおとしの塔」がある。風鈴ふうに飾られた焼物が、澄んだ音で出迎えてくれる。「日本の音風景100選」にも選ばれている。

右手に進むと
左手に唐臼小屋があった。鍋島藩時代、この川畔(がわはん)に水車小屋が立ち並び、陶石を砕く音がこだましていたようだ。 昭和40年代初めに姿を消したため往時をしのび再現されたもの。

「とうそはし」周辺は桜が今を盛りと咲いていた。「とうそはし」から左手に上っていくと陶工の墓があった。陶芸無縁塔と言われ、高麗人をはじめ江戸時代の陶工たち880基の 無縁墓標を集めた供養塔である。無名の陶工たちによって、あの優れた鍋島がつくられた証となっている。

高麗人橋を渡り権現神社坂を上って行くと右手に権現神社の鳥居が見え、まもなく権現橋があった。さらに上って行くと人家もなくなった小高い丘にひっそりと高麗人の墓があった。 藩窯以前に渡来した陶工の墓で、遥かな望郷にかられ北方に面して建立されているという。
 
秘窯の里 伊万里大川内山
鍋島藩窯橋
関所 陶工橋
唐臼小屋 唐臼
めおとしの塔 陶工の墓
とうそはし
高麗人橋 権現岳神社鳥居
権現橋 高麗人の墓