2日目も天候は変わらず雨模様となった。それでも平戸市内を見学する頃には何とか雨も止んでくれ、傘は持参したものの使用せずに済んだ。
ホテル前の平戸瀬戸、流れは結構早い。徳島の渦潮を思い出した。ホテルから見える平戸大橋 。2010年4月1日に生月大橋とともに通行料が無料になりました。 1977年4月4日に有料道路として開通した平戸島
と田平町を結ぶ朱塗りの吊り橋。(歩行者天国としては3月27日に開通) 4年の歳月と、56億円をかけて架けられた。
橋は全長665m、トラス吊橋構造で主塔間465.4m、幅10.7m、海面上30mに吊られている。
市内を散策するために駐車した交流広場から平戸城(ひらどじょう)が見える。江戸時代には平戸藩松浦氏の居城であった。別名は亀岡城(かめおかじょう)。
最初は安土桃山時代の末期に松浦鎮信(法印)によって築かれたが破却され、江戸時代中期になって再建された。平城の赤穂城と並んで、平山城では唯一の山鹿流による城郭である。
幸橋(さいわいばし)は、長崎県平戸市岩の上町の鏡川に架かるアーチ橋(石橋)。国の重要文化財に指定されている。 1669年(寛文9年)に平戸藩主松浦鎮信(天祥)により始めて木造の橋が架けられた時、
長年の不便が解消したことを祝って「幸橋」と命名された。その後、現在の石橋に架け替えられた時、かつて平戸
にあったオランダ商館の石造建築に携わった石工から伝授されてきた技法が用いられたと言われることから「オランダ橋」の別称が生まれた。
「寺院と教会の見える風景」は平戸ザビエル記念教会と光明寺、瑞雲寺が交差して見える、平戸を代表する風景。
平戸ザビエル記念教会は1913年(大正2年)に「カトリック平戸教会」として今の愛の園保育園の所に建ち、1931年(昭和6年)に現在地に建設された。
1971年(昭和46年)に1550年のザビエル平戸来訪を記念して教会脇に「ザビエル記念像」が建立され、教会の名称が「聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂」と呼ばれるようになったが、近年、正式名称を
「平戸ザビエル記念教会」と改めた。
浦の町天満宮の登り口に植えられている大ソテツ。江戸時代初期の貿易商、川崎屋の庭に植えられていたもので、樹齢およそ400年といわれている。
天文11年(1542年)に明(中国)の海商、王直が松浦家25代隆信(道可)の優遇を得て平戸に居を構え平戸を根拠として貿易を始めてから多くの明商人が平戸に定住した。この井戸はその当時、
明の様式で作られたといわれている。
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