最初の見学地「兼六園」にやってきた。2年前にやってきたときすでに兼六園は見学済みなので今回はどうしても金沢城址公園を見たかったので、行きたいと添乗員に相談、了解が得られたためツアーの人たちとは別れ石川門へと向かった。
兼六園に向かい合って建つ「石川門」は、かつては搦手門(からめてもん)と呼ばれる裏門だった。
2層の菱櫓と複数の門が組み合わされた枡形(ますがた)と呼ばれる複雑な構造になっており、敵が進入してきたときに勢いを鈍らせる目的で設けられたもの。
白く見える屋根瓦には鉛を使用。溶かして鉄砲弾に作り変えるための工夫だったとも言われている。
五十間長屋
。菱櫓と橋詰門続櫓を結ぶ多門櫓(たもんやぐら)。 武器等を保管する倉庫として使用されていたのに加え、非常時には城壁の役目も兼ね備えていた。
「河北門」は、金沢城の大手から入り、河北坂を上がったところに位置する「三の丸の正面」であり、金沢城の実質的な正門。「石川門(重要文化財)」と「橋爪門」と共に「金沢城三御門」と呼ばれているが、金沢城の建物の大半が焼失した宝暦の大火(1759年)の後、安永元年(1772)に再建された。
平成13年(2001年)に復元された「菱櫓」は、当時は大手と搦手(からめて)を見張る物見櫓(ものみやぐら)として重要な役割を果たしていた。 その名の通り、建物の平面が菱形(内角が80度と100度)になっており、死角を少なくし視野を大きくする効果がある。
建物に使用されている100本の柱にも菱形が用いられており、建設には非常に高度な技術を要したと考えられている。
橋爪門続櫓
。天守閣を持たない金沢城では、二の丸が政治の中枢を担っていた。 その二の丸の正門である橋爪門を見下ろす位置にある物見櫓がこの橋爪門続櫓。
三の丸広場から橋爪橋を渡り、橋爪門を通って二の丸へ向かう人々を監視するための重要な櫓だった。
「橋爪門」は、寛永8年(1631)の大火後に整備された二の丸の正門。高麗門形式の「一の門」、石垣と二重塀で囲われた「枡形」、櫓門形式の「二の門」からなる枡形門で、枡形は城内最大の規模を誇る。
極楽橋。
二の丸と本丸の間の空堀に架かる橋。名前の由来は金沢御堂の時代から伝わったと言われている。
三十間長屋(国指定重要文化財)。
本丸付段に安政5年(1858)に再建された長屋で、金沢城に現存する長屋建築としては唯一のもの。宝暦の大火(1759)で焼失した後、100年近くたって再建された。
ツアーの人たちと合流するため兼六園にやってきたが、時間があったので、徽軫灯籠(ことじとうろう)がある霞ケ池に行ってみた。兼六園はやはり雪吊りのシーズンに来たほうが良さそうだ。
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