与那国島・波照間島の旅 与那国島その 

2015/
04/08

志木那島診療所を後にし、次に向かったのが日本最西端の地。発行された「日本最西端の証」には「経122度56分04秒・北緯24度27分00秒」との位置情報が記されている。
日本最西端の碑にはこう記されていた。
 渡海の西崎の
 潮はなの清らさ
 与那国の美童の
 容姿の清らさ

展望台がある東屋に行ってみた。ここからは、午前中に行った海底遺跡クルーズ船が係留されている久部良漁港が見える。中央には久部良岳(198m)、遠くにはこの島の最高峰、宇良部(うらぶ)岳(231m)も見える。
 

日本最西端の証

久部良漁港(西崎東屋より)

最西端の碑

西崎灯台と西崎展望台東屋

西崎灯台 カジキのオブジェ(西崎展望台東屋前)
 
次に向かったのはクブラバリ。このクブラバリには「夕日が見える丘」前とクブラバリ前に2つの碑がある。

「夕日が見える丘」前
の碑にはこう記されている。
クブラバリ一帯 (県名勝) 昭和49年5月13日指定

クブラバリ一帯は周辺が美しい芝生に覆われ、クブラフリシの長く続く海岸は、風光明媚な景勝地である。 クブラバリはクブラフリシの一部であり、全長15m、幅約3.5mもあるかなり長い断層である。 クブラバリについては悲しい伝説がある。琉球王府はこれまでの貢納制度を改め、15歳以上のすべての男女に賦課することにした。世に言う過酷な人頭税制度であるが、その影響は与那国島にまで及び、村ではここクブラバリで残酷なことが行われたという。人口制限のため、村々の妊婦をあつめて、この岩の割れ目を飛ばせたのである。
妊婦たちは必死の思いで飛んだが、多くは転落死したり、流産したと語り伝えられている

久部良バリ前の碑にはこう記されている。
久部良村の北方、海岸の岩場にある全長20メートル余、幅3〜5メートル、深さ7〜8メートルの割れ目。人頭税に苦しむ島では、人口制限のため村々の妊婦を集めて、このバリ(割れ目の意)を跳ばせるという残酷なことを行ったという伝説がつくられた地。一帯はクブラフリシと呼ばれ、景勝の地でもあり「久部良バリ一帯」として、県指定名勝となっている。

宮古島に行った時、人頭税石(にんとうぜいせき)を見て、ひどい税があったことは認識していたが、この税がさらに過酷な影響を及ぼしていたとは思いもしなかった。バリを覗いてみたが私でさえ飛び越えるのがやっとと思われるこの割れ目を妊婦に飛ばせたとは、恐らく飛び越えた人は皆無だったと思われ、本当にひどいことをしたものだと思う。

久部良
バリの長さが微妙に違うのが気になったが、当地の人には気にも留めないのだろう。
 

久部良バリ

「久部良バリ一帯」碑

「久部良バリ」碑

久部良バリ前の海岸

 
本日の最後の訪問地、「日本最後の夕日が見える丘」。
残念ながらこの日はあいにくの小雨の降る天気。夕日は見えなかったものの、遠くの水平線に太陽が沈む光景を想像しながら写真を撮った。
碑には詩と思われる文が刻まれていたが、いかんせん当地の言葉で何のことやらチンプンカンプンでした。
 

「夕日が見える丘」碑

西崎(いりざき)

久部良漁港 目の前には多くの鉄砲ゆりが咲いていた

 
ガイドさんの仲間から<この時期羽化すると言う「アヤミハビル」を見かけた>という連絡が入り、急遽行って見ないかとの提案が出され、思いもかけない朗報にツアー客全員が喜んで参加することになり、見学予定にはなかった発見場所の森林公園へと向かった

世界最大級の蛾で正式名称はヨナグニサンと言い、 与那国島では、アヤミハビルと呼んでいる。世界最大の面積を誇る翅(はね)は、広げると長さ24センチにも達するという。
確かに大きい。見てビックリ。度胸も据わっていてフラッシュの光にも動じない。それもそのはず、成虫になってからは命を掛けた時間との戦いで、子孫を残すだけのために成虫になったようで、その命はメスで5〜9日、オスで4〜5日。まわりの影響を気にしていたらあっというまに息絶えてしまう。短い命を精一杯生きているのだろう。
 

アヤミハビル(ヨナグニサン)