浅草は、修学旅行生や外国からの観光客でごった返していた。湿度が高かったせいか29℃の気温以上に暑く感じられた。
雷門は浅草寺の総門であり、正式名称は「風雷神門」という。風雷神門の名は、風神と雷神を門の左右に奉安していることに由来する。大提灯は高さ3.9m、幅3.3mで、重さは約700kgある。
風神と雷神は名のとおり風雨を司る神であり、風水害を除け、伽藍を鎮護するために祀られた。同時に、風雨順時と五穀豊穣の祈りも込められている。
雷門の北の間(風雷神像の背後)に安置されている天龍像(男性の姿)と金龍像(女性の姿)は、水を司る龍神であり、浅草寺の護法善神である。
仲見世は浅草寺の表参道である。雷門から宝蔵門まで長さ約250mにわたって、参道の両側に朱塗りの店舗が並ぶ。仲見世という名は、浅草広小路(現在の雷門通り)あたりに並ぶ店と浅草寺観音堂前に並ぶ店との中間、つまり「中店」ということからこの名で呼ばれるようになったともいう。
伝法院(でんぼういん)
は浅草寺の住職らが生活する場所としての「本坊」として造営された。
浅草寺山門、宝蔵門は、朱塗りの楼門である。門は初層が五間で、両端の二間には仁王像を奉安し、中央の三間が通行のために開口している。
中央に掛かる大提灯は、高さ3.75m・幅2.7m、重さ約450kg。
浅草不動尊(宝光山大行院)
は浅草寺とは別のお寺で、天台宗の「宝光山大行院」である。
厄除け、開運、虫封じにご利益があるといわれている。
五重塔は、昭和48年(1973)に再建された、鉄骨・鉄筋コンクリート造りの塔である。
お水舎(おみずや)
は天井には「墨絵の龍」(東 韶光 画)、八角形錆御影石造りの手水鉢の上にはかつて本堂裏にあった噴水に安置されていた高村光雲作の龍神像(沙竭羅龍王像)をまつる。
御宮殿(本堂)
は昭和30年(1955)4月30日完成。鎌倉時代末期の様式、唐様・三方軒唐破風千鳥破風付で間口4.5m、高さ 6m、総金箔押。
「讃慈雲の泉」
は雲の上に乗った人々が1点を見つめている「雲」という朝倉文夫が25歳の時の作品。
三社祭で有名な浅草神社。浅草寺の草創に関わった檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟と土師中知(はじのなかとも)の3人を三社権現と称し祀っているという。
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