小豆島への旅 小豆島篇  2016/11/16〜17

備中松山城を後にしいよいよ小豆島へとバスは向かった。

岡山自動車道を上り岡山JCT経由で山陽自動車道に入り倉敷JCTを経て間もなく左手にマスカットスタジアムが見えてきた。スタジアムでは練習する楽天選手の姿が見られた。倉敷から岡山の球場まで毎日の移動が大変だなと思っていたら、後で調べてみると宿泊ホテルからマスカットスタジアムの距離が意外と近いことが分かりビックリした。

バスは瀬戸中央自動車道に入る手前の早島ICで降り岡山バイパス(国道2号線)に入り小豆島フェリー乗り場のある新岡山港へと向かった。
 

吉備中央町岨谷下付近(県道57号線 槇谷川) (車窓)

見延高架橋(総社市見延付近)

マスカットスタジアム(山陽自動車道)(車窓)


新岡山港に着くとこれまでの山から海へと風景が一変した。待合所で目につくのが大きなオリーブの木で実がなっていた。その傍には花崗岩が置かれており<太閤秀吉夢のかけら>となっている。説明文を読むと大阪築城の際は小豆島の大石が運ばれていたがその時積み出されなかったものが残念石などと呼ばれ残っているとのことだった。大阪城に行った時も確かこのような石があったことを思い出した。それにしても<夢のかけら>とは上手いことをいう。フェリーの名前はその名も「オリーブ丸」。

 

リーブ丸

大阪城築城残石

オリーブの木

オリーブの実


フェリーは70分ほどで小豆島に着いた。フェリーから見えた皇踏山 (おうとざん)は標高393.67mで三角測量に用いる際に経度・緯度・標高の基準になる点、三等三角点がある。

太陽の贈り物
は瀬戸内国際芸術祭2013の作品。チェジョンファ作。オリーブの葉を王冠の形に仕立てた彫刻で、金色に光り輝く円環からは海が眺められる。

平和の群像は小豆島出身の作家・壺井栄の名作「二十四の瞳」の女性教師と12名の生徒から成るブロンズ像。香川県丸亀市出身の彫塑家 矢野秀徳の作。「二十四の瞳」は1954年(昭和29年)に高峰秀子が主演し映画化された。

土渕海峡は全長約2.5km、最大幅は約400m。最狭幅は9.93mで、世界一幅の狭い海峡として1996年ギネスブックに認定された。最狭部分は県道26号線の永代橋(えいたいはし)で現在通過中。

小豆島大観音はスリランカの仏教聖地、キャンディに位置する佛歯寺(ダラダー・マーリガーワ寺院)から1985年に釈迦の犬歯を寄贈されたのをきっかけに建立された。1994年に竣工、1995年に公開。大観音像の高さは明らかにされていないが、約50〜60mといわれる。胎内には本尊をはじめ、寄贈された約1万体の胎内仏が並ぶ。エレベーターで胎内を登ると、仏歯を納めた仏歯の間に至る。ここからは瀬戸内海や岡山港を望むことができる。大観音像以外に、目立った堂宇は置かれていない。

夕陽ヶ丘み
かん園 は海を望む丘陵地に2000本のみかん樹を栽培している。昭和38年に土庄町肥土山地区の10戸のみかん栽培農家が、部門協業経営を開始したのが始まりだという。

小豆島スカイラインから見える景色は圧巻、遠く四国を望む。エンジェルロードは高壺山の影。手前の地区は肥土山(ひとやま)。大麻山(標高427.2m)高壺山(標高159m)高見山(標高153m)流れる川は伝法川。四方指(しほうざし)山(標高 777 m)に源を発し、流路延長 7.9km の小豆島で最も長い二級河川。

 
小豆島(フェリーにて)

土庄(とのしょう)(フェリーにて)

皇踏山(フェリーにて)

太陽の贈り物(フェリーにて)

平和の群像(車窓)

土渕海峡(車窓)
小豆島大観音(車窓) 夕陽ヶ丘みかん園(車窓)

土庄東港方面(小豆島スカイラインにて)


四方
指展望台 からは寒霞渓がある三笠山(標高 671 m)、瀬戸内海で最も高い星ヶ城山(標高 816.1 m)や碁石山(標高 434.3 m)洞雲山(標高 355 m)の山々が見える。

お猿の国は猿だけではなく銚子渓という滝や、360度のパノラマが望める仙多公峰展望台があるらしい。

寒霞渓は星ヶ城と四方指の間、範囲は東西7キロメートル、南北4キロメートルに及ぶ大渓谷で、およそ1300万年前の火山活動によってできた安山岩、集塊岩などの岩石が長い年月を経て奇岩等の絶景を作りだしている。

 
四方指展望台
寒霞渓方面 お猿の国(車窓)
寒霞渓第1展望所にて
寒霞渓石碑(第1展望所) 寒霞渓石碑(第2展望所)
売店から寒霞渓第1展望所までの通路にて
ロープウェイ(山頂駅にて)
ロープウェイ(山頂駅にて) 寒霞渓(ロープウェイより)
寒霞渓(ロープウェイより) こううん駅にて
こううん駅にて

オリーブ公園からは左に田浦半島、右に三都半島、そして中央に遠く四国山地、香川県さぬき市が見える。
公園中央にある円形の石のステージ上のモニュメントは、古代ギリシャの「オストラキスモス(陶片追放)」に使用された投票片をモチーフにしているという。「陶片追放」とはもともとは古代アテナイで、僭主(せんしゅ)の出現を防ぐために、市民が僭主になる恐れのある人物を投票により国外追放にした制度らしいが、その後政争の具として使われたようだ。

オリーブ公園を後にしバスは一路エンジェルロードへと向かった。出来れば明るい内にという願いもむなしく
小豆島町池田付近(国道436号線)でとうとう沈んでしまった。しかしながら、ちょうど沼(名前不明)に差し掛かったときで、夕日が湖面に映りそれはそれで美しいものがあった。エンジェルロードへは陽が沈んでしまったが何とかまだ見える明るさの内にたどり着いた。

エンジェルロードは1日2回、干潮時に海の中から現れる砂の道。大切な人と手をつないで渡ると、砂州の真ん中で天使が舞い降りてきて、願いを叶えてくれると言われているロマンティックな場所、「恋人の聖地」として知られている。
エンジェルロードによって陸続きになる余島は北から弁天島、小余島、中余島、大余島の4島の総称だったが、その後弁天島は埋め立てによって小豆島(前島)と陸続きとなり、さらに小余島と中余島は一つの島(中余島と呼称)として扱われるようになったため、現在は中余島及び大余島の2島の総称となっている。

次の朝、ホテル
海廬から見るエンジェルロードの夜明けはビューティフルの一言。昨日の夕陽とといい、すばらしい目の保養をさせてもらった。

ホテル
海廬を出発、県道26号線を北上し尾形崎付近を走る頃、瀬戸内海の瀬戸内市前島・青島方面に何やら白く光る構造物があることに気づいた。船と比較しても巨大なものであると思われるが、ネットで調べてみても結局何なのか全く分からなかった。  

土庄町小海(おみ)では大坂城残石記念公園と彫られた石柱を見つけた。道の駅らしいがその名の通り公園でもあるとのこと。
1640年代に大坂城修築の用途で近隣の丁場から切り出されて港まで運搬され、船に積まれる予定であった40個の残石が現存しており、それに隣接して大坂城残石資料館の施設群が整備された。

福田漁港は姫路へ向かうフェリーの発着所。小豆島フェリー、その名も「第三オリーブ丸」

 
オリーブ公園
リーブ園の紅葉 オリ ーブの輪
ふれあい広場
夕暮れ(小豆島町池田付近 国道436号線)
エンジェルロード(弁天島から中余島を望む)
エンジェルロード(中余島から弁天島を望む) エンジェルロード(中余島から大余島を望む)
エンジェルロードの夜明け(ホテル海廬より)
瀬戸内市前島・青島方面(屋形崎付近)(車窓) 小島(土庄町小海付近)(車窓)
大坂城残石記念公園(土庄町小海)(車窓) 土庄町前鼻(車窓)
大島(大部港)(車窓) 小豆島フェリー(福田漁港)
金ヶ崎(フェリーより) 小島(フェリーより)